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東京高等裁判所 昭和31年(う)3230号 判決 1957年12月26日

控訴人 原審検察官 阿部太郎

被告人 須藤満雄

弁護人 白石信明 外一名

検察官 野中光治

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、東京高等検察庁検事野中光治提出にかかる静岡地方検察庁検察官検事本位田昇作成名義の控訴趣意書記載のとおりであつて、これに対する答弁は、弁護人白石信明、同田中豊恵各作成名義の各答弁書記載のとおりであるから、これらをここに引用し、これに対して当裁判所は次のとおり判断する。

本件公訴事実中住居侵入、強盗殺人の事実の要旨は、「被告人は、昭和二五年一月六日午後八時三〇分過ごろ、金品奪取の目的で、静岡県盤田郡二俣町西古町一五三五番地大橋一郎方裏出入口から同家屋内に侵入し、同家六畳間で就寝中の右大橋一郎(当時四六年)の枕許で金品物色中、同人が眼をさますや、所期の目的を妨害されることをおそれて矢庭に持つてきた匕首で同人の右頸部を約八回位突き刺して即時右刺創による失血死に至らせ、次いで同様就寝中の右一郎の妻たつ子(当時三三年)がこれに気付いたように認めるや、直ちに同女の枕許に至り、右匕首をもつて同女の左頸部等を約一〇回位突き刺して即時刺殺し、その際同女をして苦しさの余りその身を隣に寝ていた次女信子(当時一一月)の顔面及び胸部に覆いかぶらせて即時右圧迫による窒息死に至らせ、更に物音に眼をさました長女孝子(当時二年)の枕許に赴いて右手で同女の頸部を絞扼して即時窒息死に至らせてそれぞれ殺害したうえ、金品の物色を続け、同室東北隅の箪笥ひき出内及び同所の衝立に掛けてあつた大橋一郎の上衣ポケツト内から同人所有の現金計約千三百数十円を強奪して逃走したものである。」というのであるところ、これに対して原判決が、「本件公訴事実中住居侵入、強盗殺人の事実については、被告人の自白の任意性が認められず、従つてこれを記載した供述調書等もすべてこれを証拠とすることができないところ、本件においては、右自白と離れて被告人を犯人なりと断ぜしめる証拠がないから、結局右公訴事実については、犯罪の証明がないことに帰する。」と判示し、被告人に対して無罪の言渡をしていることは、所論のとおりであつて、これに対し論旨は、右住居侵入、強盗殺人の公訴事実については、警察、検察庁を通じ被告人の自白等には任意性があり、従つて、これを記載した供述調書等は、いずれも証拠とすることができるものであつて、これを補強する証拠もあるから、その証明が十分であるにもかかわらず、無罪を言渡した原判決は、証拠の取捨判断を誤り、事実を誤認したものであり、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである旨を主張し、その理由として、第一項において警察等における自白の任意性を、第二項において検察庁における自白の任意性をそれぞれ詳論し、最後に原判決のした無罪の判断が判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認である旨を論難するにより、左にこれに対する当裁判所の判断を示す。

第一、警察等における自白の任意性について。

原判決が、右住居侵入、強盗殺人の公訴事実に対する無罪の理由において、「本件につき最高裁判所が昭和二八年一一月二七日言渡した破棄差戻の判決は、その破棄理由として、本件自白はその真実性が疑わしく、他に独立して被告人を犯人なりと断ぜしめる証拠がないことを挙げているが、右は必ずしもその前提として本件自白が任意に為されたことを認めた趣旨とは解せられない。」として、(一)被告人の警察での自白(被告人の司法警察員に対する第一回ないし第一四回供述調書)、(二)被告人の供述書二通、(三)被告人の副検事に対する供述調書及び裁判官に対する陳述調書、(四)新井孝太郎の証言中の被告人の自認部分がいずれも任意性を欠き、証拠能力を有しないから、これを採つて有罪事実認定の証拠とすることができない旨を判示していることは、所論のとおりであつて、論旨は、右各証拠は、いずれも任意性が認められ、証拠能力を有する旨を主張する。よつて案ずるに、原審(差戻後の第一審)における第一回、第九回、第一三回各公判調書の記載に徴するときは、右列挙の証拠中(一)、(二)、(三)の各証拠は、いずれも原審において検察官からこれが取調請求が行われたのであるが、そのうち(一)、(二)及び(三)中の被告人の副検事に対する供述調書は、いずれも原審第一三回公判期日において、これを取調べない旨の決定があり、(三)中の被告人の裁判官に対する陳述調書は、同公判期日において、取調請求を却下する旨の決定があつて、共に原裁判所において取調べなかつたものであることが認められるのに、当審においては、これらの証拠につき検察官から証拠調の請求すら行われなかつたものであつて、たとえ、これらの各書面が、差戻前の第一審において証拠調が行われた関係上記録には編綴されてあつても、このままでは、当裁判所においては、その任意性の有無にかかわりなく、これを証拠とすることができないばかりでなく、自白の任意性を判断するにつき調査の資料とすることさえもできない筋合であるから、これが任意性につき云々することは、実益が乏しいようにも考えられない訳ではないけれども、検察官がこれを控訴の趣意としているのであるから、一応これに対する判断を示すこととするが、それについては、自白の任意性についての法律的見解の如何が、具体的事案における自白の任意性の判断に重大な影響を及ぼすものと考えられるので、まず、本件につき必要の限度において、自白の任意性についての当裁判所の法律解釈を示し、次に、論旨の示す各項目に従い、これに対する判断を示すこととする。

一、自白の任意性についての当裁判所の法律解釈。

自白の証拠能力については、刑事訴訟法第三一九条第一項に、「強制、拷問及は脅迫による自白、不当に長く抑留又は拘禁された後の自白その他任意にされたものでない疑のある自白は、これを証拠とすることができない。」と規定されているのであつて、右は憲法第三八条二項の規定を受けたものであるが、これらの規定の趣旨とするところは、自白の証拠能力を認めるためには、その任意性が要件とされるということである。そして、右に規定された強制、拷問、脅迫というようなこと(不当長期拘束後の自白については、本件と直接関係がないから除く。)は、すべて任意性のない場合の典型的な事例であつて、法は、これらを例示的に列挙したものと解されるのであり、又、強制、拷問又は脅迫による自白とは、これらの強制、拷問又は脅迫と自白との間に相当因果関係の存在を必要とする旨を示したものと解されるのである。この点につき原判決は、自白が任意性を欠いて証拠たり得ないためには、それが強制事実に由つて、即ち強制事実を原因としてなされたことは必ずしも必要でなく、要するに自白が強制事実の下で、即ち強制事実(又はその影響力)の現存する状況下でなされたことをもつて足りるものと解すべきであるとし、その根拠の一として憲法第三八条第二項の公定英訳文が、この点につきコンフエツシヨン メイド アンダー……(Confession made under ……)なる文言を使用している点を援用しているのであるが、しかし、右の文言も、必ずしも原判決のように解さなければならないものではなくて、むしろ、前示のように、強制、拷問又は脅迫と自白との間に相当因果関係の存在を必要とする旨を示したものであり、その相当因果関係のある自白とは、右の強制、拷問又は脅迫等自白の任意性を失わせるような不法不当な圧迫が現に加えられつつあるか、又は過去においてこれらの圧迫が加えられたことにより、将来も再びそのような圧迫が繰り返されるおそれのある状況においてこれを原因として行われた自白を指称するものと解するのが相当であると考えられるのである。

次に、前示刑事訴訟法第三一九条第一項中の「その他任意にされたものでない疑のある自白はこれを証拠とすることができない。」との規定は、任意性のないことが実際上立証の極めて困難であることを考慮して、任意性のない疑があるだけで自白の証拠能力を否定したものと解されるのであつて、それ以上詳細な説明は、本件においては必要がないと考えられるので、これを省略する。

二、被告人の司法警察員に対する第四回ないし第一四回供述調書について。

原判決においては、被告人が右各供述調書における自白の任意性を争う要点は、被告人が本件自白をなすに至りかつこれを維持した原因が、前記の期間二俣町警察署構内(建物裏手)の道場(土蔵造り)において取調刑事から暴行、脅迫等の強制行為を受けたためであるというのであるから、以下においては、先ず、被告人の主張するような暴行、脅迫という直接的強制事実があつたかどうか、次に、被告人が道場と称せられる土蔵で取調べられたこと自体が被告人に対して間接的に強制とならなかつたかどうかという順序で判断すると前置して、各関係証拠につきいろいろと検討を加えて、るる詳述した上、「直接強制の有無に関する結論」として、被告人の司法警察員に対する自白は、刑事訴訟法第三一九条第一項にいう「任意にされたものでない疑のある自白」に該当するから、この点においてすでに任意性がないと判示し、次に、「間接強制の有無」と題して、本件の取調場所は、二俣町署裏手の土蔵であつて、この土蔵での取調自体が、間接的に被告人に対する強制となうたものというべく、すなわち、被告人の司法警察員に対する自白は、「強制の下になされた自白」であるから、この点においてもまた任意性を欠くと判示した上、被告人の司法警察員に対する第四回ないし第一四回供述調書の任意性についての結論として、以上の次第であつて、被告人の上述司法警察員に対する自白については、その取調が右のような土蔵という圧迫の下で行われ、かつ、右取調には暴行、脅迫等の直接的強制事実が伴つたとの疑があるから、そのいずれからみても、右自白を記載した被告人の司法警察員に対する上述第四回ないし第一四回供述調書は、その全部が任意性を欠いて証拠とすることができないものである旨を判示していることは、所論のとおりであり、これに対して論旨は、(一)被告人の取調にあたつて、司法警察員により暴行、脅迫等のいわゆる直接強制を加えられた疑はなく、(二)被告人を土蔵造りの道場で取り調べたこと自体が人権に対する不法な圧迫であるとの原判決の判断は、誤りである旨を主張するのである。そこで、

(一)  原判決のいわゆる直接強制の有無の点について考察するに、この点につき原判決は、直接強制なしとの証拠及び直接強制ありとの証拠につき、それぞれ詳細な論評を加えた上、以上、いわば被告人側の反証にあたる(一)被告人の供述自体、(二)山崎兵八、小池清松の各証言、(三)板倉政敏ほか三名の各証言、(四)土蔵での取調がもたらす疑、並びに(五)その他の事実の五者は、また相互に補強し合つてその信憑力を高めるものであるが、これらの反証を総合し、更にそれを前記のいわば検察官側の立証にあたるものと比較考量するときは、当裁判所としては、右反証全体の証明力については、未だ疑問なしとしないので、本件取調において暴行、脅迫等の直接的強制事実が存したとの認定には到達しないけれども、しかしまた、右反証全体の証明力は、これを到底否定ないし軽視することもできないので、右の事実が存在しないとの確信にも達し得ないものである。(すなわち、本件取調には、右事実存在の疑が残る。)従つて、被告人の司法警察員に対する自白は、前記法条にいう「任意でされたものでない疑のある自白」に該当するから、この点においてすでに任意性がないと判断しているのであるが、本件記録によつて原判決の列挙する右各証拠を精査し、原判決の右判断の当否を仔細に検討するに、原判決の右判断は、いずれもおおむね妥当であると認められ、所論のように、必ずしも誤つているものとは考えられないのである。この点につき論旨は、被告人は、本件住居侵入、強盗殺人の公訴事実について犯行を否認し、いわゆるアリバイを主張すると共に、警察における自白は、取調刑事の暴行、脅迫等があつたため、心ならずも虚偽の自白をしたと主張するものであつて、被告人の供述全体としては、自白の任意性がないとの主張と自白の真実性がないとの主張とが両者一体不可分的に主張されているものであるが、本来自白の任意性と真実性とは、区別せらるべきものであり、証拠能力は、証明力の前提問題として判断されなければならないから、被告人の供述を離れて、明確に自白の任意性がないと断じ得る証拠がある場合は、当該自白の真実性について判断を進める必要もなければ、また判断するべきでもないことは、当然であるけれども、本件の場合は、これと異り、本件の取調に警察官の暴行、脅迫があつたという被告人の公判廷における供述を除いては、本件自白の任意性がないと断じ得る証拠は、全くみあたらないのであるから、本件において、被告人の公判供述に基きこれを証拠として自白の任意性があるかどうかを判断する場合は、右供述の信憑力の検討吟味は、自白の真実性があるかどうかの観点からも行う必要がある旨を力説し、原判決が本件自白について、その真実性の有無を検討、判断しなかつたことは、そのこと自体採証の法則に違反するものである旨を主張し、右自白の真実性についていろいろと検討詳述しているのであるが、なるほど、自白の任意性の根拠につき、学者のいわゆる虚偽排除説的立場を採る場合に、自白の任意性と真実性との間に関連のある場合の存することは、所論のとおりであるけれども、現行刑事訴訟法においては、自白の任意性の有無は、証拠能力の問題であり、その真実性の有無は、証明力の問題であつて、自白の証明力があるとするためには、その前提として、該自白が証拠能力を有することが必要であり、この証拠能力を有するがためには、右自白が任意性を有することを必要とするとの建前を採つているのであり、たとえ、客観的に真実に合致した自白であつても、その任意性が認められないか、若しくは、任意性に疑がある場合には、証拠能力を欠き、断罪の資料に供することができない筋合であるから、原判決が、この点につき、被告人の本件自白がすべて任意性を認められず証拠能力を欠き、従つて、その果して真実を述べているや否やにつきこれを判断するに由なきものと判示し、本件自白の真実性の有無につき判断を示していないからといつて、所論のように、そのこと自体が採証の法則に違反するものということはできないばかりでなく、被告人の本件自白の真実性については、後に詳述するように、本件につきさきに最高裁判所が言渡した破棄差戻判決の破棄理由において、被告人の警察員、検察官に対する自白は、真実性の乏しいものではないかと疑うべき顕著な事由が存する旨を判示して、被告人の本件自白の真実性を肯定しがたい旨の判断を示しているのであるから、原裁判所及び当裁判所は、裁判所法第四条により、本件につき右の判断に拘束されるものというべく、従つて、原裁判所は、原審における審理の結果、最高裁判所が右の判断を示した当時に存した資料以外に、それ自体で、または右の資料と総合して本件自白の真実性を肯定し得る新たな証拠が発見されない限り、右最高裁判所の判断に牴触する判断をすることは、許されない筋合であるところ、記録を精査してみても、このような新たな証拠が原審において顕出された事跡をみいだすことができないのであるから、被告人の自白の任意性を判断するについても、所論のような自白の真実性を肯定する趣旨の判断をすることは、できないものというべく、いずれの点よりするも、論旨はこれを採用するに由ないものである。

(二)  間接強制の有無について。

二俣町警察署における本件の取調場所が土蔵内であつたことにつき、原判決が、「本件土蔵は、既にみたように、警察の裏手にある頑丈な二階造りの土蔵であつて、その階下内部は、木骨式厚壁と低い頑丈な天井とで囲まれ、且つ、被告人取調の際には、大体入口の戸がしめられていたと認められるから、内部は一層暗い。しかも、ここで調べられた被告人は、少年であつて、体格も頑丈でなく、そのうえ、初めて今回のような本格的拘束生活を経験して、相当畏縮した状態にあつたと認められるところ、逮捕後二六日までは、土蔵以外の場所で調を受けたりしていたものが、二七日突然このような土蔵に入れられ、少くとも二名の屈強な刑事から取り調べられたというのであるから、これは充分被告人の自由意思を抑圧するに足りるもの、すなわち不当不法な圧迫というべきものである。」と判示していることは、所論のとおりであつて、これに対して所論は、憲法第三八条第二項及び刑事訴訟法第三一九条第一項にいう強制は、拷問、脅迫以外において自白を強要する方法であつて、人権侵害と認められるものと解されるから、取調の場所が適当でないということ自体が強制に該当するとは考えられない旨を主張するのであるが、しかし、憲法第三八条第二項及び刑事訴訟法第三一九条第一項にいう強制、拷問、脅迫、不当に長い抑留、拘禁というようなことは、すべて任意性のない場合の例示として掲げられているものと解されるのであるから、この意味からいえば、強制ということばについての所論解釈は、適当でないようにも考えられるのであるが、仮りに、所論のような解釈に従うとしても、取調の場所といえども、その場所自体の状況が、またはその場所の状況がそこにおける取調方法と相待つて、被告人または被疑者の自由意思を抑圧するに足りると認められるような場合には、これをもつて自白の任意性を否定し、またはこれを疑うべき一資料とすることができるものと考えられるのであるから、取調の場所の如何は、どんな場合にも強制にはならないとの所論は、到底認容することができないのである。それで、原判決の挙示する証拠によれば、本件被告人の取調場所たる土蔵は、その位置、構造、周辺の状況等が原判決認定のとおりであること、及びこの土蔵内における警察官の取調状況も、おおむね原判決認定のとおりであることが認め得られるところであるから、このような場所のこのような状況下で、原判示のような圧迫を加えた疑のある取調が行われたという事実は、他の証拠と相待つて、被告人のした警察での自白が任意にされたものでないことを疑うべき一資料となることは、否定できないものというべく、従つて、右土蔵における取調自体が間接強制になるとの原判決の判断をそのまま是認する訳ではないが、前示の理由により、右土蔵における取調を一資料として、被告人の警察における自白の任意性を否定した原判決の判断は、結局相当であるといわなければならない。なお、所論は、本件被告人を右土蔵で取調べたことは、当時の二俣町警察署における状況より、他に適当な取調場所がなかつたため、やむを得ざるに出たことであつて、被告人の自白を強要する方法としてやつたことでもなく、殊に、取調に当つた警察官は、本件被告人を土蔵で取調べることにより、不法不当な圧迫を加えてその自白を求めようとする目的ないし認識を持たなかつたのであるから、本件被告人をいわゆる土蔵で取調べたことが被告人の人権に対する不法な圧迫であるという原判決の判断は誤りである旨を主張するのであるが、なるほど、所論の挙げている証拠によれば、当時の二俣町警察署における所論のような事情から、他に適当な取調場所がないため、やむを得ず、右の土蔵で取り調べたものであつて、ことさら被告人に自白を強要する方法としてやつたものではなかつたことの窺われることは、所論のとおりであるけれども、しかし、他に適当な取調場所がなかつたということと、自白の任意性の有無とは、おのずから別個の問題であつて、やむを得ず土蔵で取調べたものであるから、そこでされた自白は当然任意性があるとはいえない筋合であるから、この点の所論もまた採用に値しない。

三、被告人の供述書について。

原判決が、被告人の三月六日自筆で作成した「私の現在の心境」と題する書面(記録第四分冊第一三五六丁)及び無題の書面(記録第四分冊第一三七八丁)(いずれも犯行を認めているもの)に対し、これが作成の事情につき、原審における証人河合国明の第一回証言と被告人の原審公判における供述とを対比し、右のいずれが真実であるかについては、そのおのおのを個々に観察することはできない。すべからく、被告人の警察での取調状況全体に関するよ記認定とあわせて判断すべきものである。そうすると、上述来の理由により、被告人の右供述の信憑性を一概に否定し得ないのみではなく、右手記二通は、土蔵という圧迫下で、しかも暴行、脅迫の行われた疑のある当時の状況下で作成されたものであるから、この二通の供述書は、たとえ形式は自発的であつても、結局その供述に任意性ありとは認められず、証拠能力がない旨判示していることは、所論のとおりであつて、これに対し所論は、被告人の前記供述は、自白を覆すための弁解とみられ、信用に値しないのに反し、証人河合国明の供述は、事実を述べているものと認められるとし、更に、本件取調に暴行、脅迫等の強制的事実があつたかどうかについては、証拠上消極に認定するを相当とすること、土蔵内の取調自体を目して不当不法の圧迫と解すべきではないとして、右二通の供述書の任意性を肯定し、原判決の判断が誤りである旨を主張するのであるが、この点についてもまた、原判決のいうように、ただ、証人河合国明と被告人との各供述を対比するに止まらず、被告人の警察における取調状況全体に関する認定とあわせて判断すべきものであつて、この見解に立つて判断を下した原判決の結論もまた、記録に照らし、所論のように誤つているとは考えられないのである。論旨は採用できない。

四、被告人の副検事に対する供述調書及び裁判官に対する陳述調書について。

記録第四分冊第一四〇四丁には、被告人が三月八日本件住居侵入、強盗殺人の容疑で送検、勾留された際の二俣区検察庁副検事松井虎雄の弁解録取書が綴つてあり、その際の二俣簡易裁判所判事金子敏男の勾留質問に対する陳述調書は、原審においてその取調請求が却下されたため、記録には編綴されていないが、原判決によれば、右各調書の作成された弁解録取及び勾留質問においては、いずれも被告人が犯行を自白したものであることが窺われるのであつて、原判決においては、右各自白調書の任意性が認められず、証拠能力がないと判示しているのに対し、所論は、その任意性を肯定し、原判決の判断が誤つている旨を主張する。よつて審究するに、右二つの場合の自白は、取調場所も前示の土蔵ではなく、質問者も警察官ではなく、かつ、何らの強制をも受けなかつたことを被告人自身も認めているのであるから、被告人の司法警察員に対する前示自白とは、かなりその事情を異にするものであるところ、原判決においては、それでもなお、その任意性を否定する根拠として、(一)被告人が警察官と検察官との区別を充分認識していなかつたと認められること、(二)質問場所も土蔵ではないが、同一警察内であつたこと、(三)右三月八日は、未だ警察の取調中であつて、勾留質問後再び警察に戻されることが予想され得たこと、(四)被告人が原審第一二回公判で、「自分は、三月八日に先立ち同月六日に北から、今後も検事や判事に否認すると、何処まででも行つて、もつとひどい目にあわせてやるといわれていたし、また右勾留当日、松島から、自白は簡単にするようにともいわれていたうえ、勾留質問の場所も二俣町署の署長室で、しかも、新井孝太郎ほか一、二名の警察官も立ち会つていたので右三月八日には、自由な発言ができなかつたものである。」と述べていること、の四点を挙げて、これらの諸点をあわせ考えると、被告人が右自白をなす際には、未だ警察での強制的取調による畏縮した心理状態を脱していなかつたものと認めるに充分であるから、被告人の右二通の調書は、結局その供述に任意性ありとは認められない旨を判示しているのであるが、右四点のうち、特に(三)の勾留質問後再び警察に戻されることが予想され得た点と、それまでの警察における取調状況が原審認定の如くであつた点とをあわせ考えるときは、右二つの場合の自白にも、なお任意性が認められないとした原判決の判断が必ずしも所論のように誤つているとも考えられないところであつて、所論の理由のみをもつては、未だ右の認定を覆すに足りないのであるから、この点の論旨も、これを採用することができないのである。

五、新井孝太郎に対する被告人の自認について。

記録によると、新井孝太郎は、原判示の如く、二俣町署の巡査であつて二月二四日、窃盗関係につき被告人を取り調べた者であるところ、三月一一日、ほか二名の巡査と共に、被告人をダツトサンで浜松の検察庁まで押送したものであるが、同人の差戻前の第一審及び原審における各証言に徴するときは、同人が右押送の車中被告人に対し、自白後の心境等をいろいろと尋ねたところ、被告人がこれに対し、種々犯行について語つた事実が認められるのであつて、同証言によつて被告人が同巡査に語つた内容を検討すると、それは、被告人が本件に関して自己に不利益な事実を自認したものと認められるのであるが、原判決が刑事訴訟法第三二四条第一項、第三二二条第一項に従い、右自認の任意性につき検討した結果、右自認の供述は、警察での強制的取調がもつ影響力の存続下になされたものであつて、結局任意にされたものとは認められないから、証人新井孝太郎の前記証言中右自認を内容とする部分は、証拠能力を有しない旨を判示していることは、所論のとおりであつて、所論は、右新井孝太郎の差戻前の第一審第三回公判及び原審第六回公判における各証言を援用して、被告人の右自認部分は、任意性を有する旨を主張するのである。よつて、所論の挙げている右の各証拠によつて、被告人が右の自認をしたときの状況を検討してみるに、それは、原判決もいつているように、三月一一日、いよいよ警察での取調が終つた後の車中でのできごとであり、しかも、その応答の状況は、押送巡査と被告人との談話の形式を帯びていて、土蔵内での取調とは、甚だその趣を異にするものであり、その内容も、附添巡査の簡単な質問に対し、多分に自ら種々述べたとみられる節があつて、一応任意にされたようにみえるのであるが、これに対して原判決は、当時被告人が警察での強制的取調により畏縮した心理状態にあつたとみられるところ、僅かに警察の門を出た直後のことであり、しかも、それは釈放されてではなく、検察庁に送られるためであつて、かつて被告人を取り調べた新井巡査ほか二名の巡査に囲まれ、その種々の質問をうけながら応答しているのであるから、当時の被告人の心理全体には、未だ前記のような畏縮状態が存していたものとみるのが相当であるとして、被告人の新井孝太郎ほか二名の巡査に対する前記自認の供述は、警察での強制的取調がもつ影響力の存続下にされたもので、任意にされたものとは認められない旨を判示しているけれども、証人新井孝太郎の前示証言によれば、当日被告人は、散髪と入浴とをして、明朗な顔をしており、「大変気持がよい。」といつて、屈託のない顔で、別に沈んでいる様子もなかつたことが窺われるのであるから、畏縮した心理状態にあつたものとみることは、いささか妥当でないように考えられるばかりでなく、警察での取調を終り、検察庁への押送の途中であつて、客観的には、現に強制、拷問、脅迫等の圧迫が行われていた事実もなく、将来行われるおそれもなかつたような状況にあつたことが認め得られるのであるから、仮りに、過去において、警察での取調に際し圧迫が加えられた疑が存するとしても、右の自認が行われた当時においても、なお右圧迫による強制の影響が残つているとの認定は、既に当裁判所の法律解釈において示した考え方よりみれば、これを肯定することができないのである。もつとも、右のように、客観的には、現に圧迫の事実がなく、将来もそのおそれがなかつたとしても、原判決の指摘しているように、未だ警察の門を出て間もなくのことであり、押送の巡査も、かつて自分が窃盗事件につき取調を受けた新井巡査ほか二名であるから、当時少年であつた被告人としては、ここで否認すれば、引き返して警察に連れ戻された上、前のような土蔵で取調を受けなければならないようになるかも知れぬと考えることも、絶対にあり得ないともいいきれないところであるから、この意味においては、右の自認もまた、必ずしも任意にされたものと断定することができないのであつて、任意にされたものでない疑が残るものといわなければならない。従つて、原判決の判断とは、その理由を異にするけれども、任意性を否定する結論は同様であるから、この点の論旨も結局理由がないことに帰する。

第二、検察庁における自白の任意性について。

原判決は、被告人の太田検事に対する自白の任意性につき、被告人が警察で暴行、脅迫等のいわゆる直接強制を受けた疑があり、また、その取調は、土蔵内で行われたのであるから、このような取調を受けたこと自体による心身の消耗と、再度そのような取調を受けるかも知れないとの畏怖心などが、検察庁での取調の当時に存続していた疑があるとして、被告人の太田検事に対する自白は、強制の影響力下でなされたとの疑があるから、「任意にされたものでない疑のある自白」に該当すると認定し、これを録取した被告人の検察官に対する第一回ないし第三回供述調書は、全部が任意性を欠いて証拠とすることができない旨を判示するに対し、論旨は、右の自白には、任意性が認められるから、原判決は、この点に関する事実を誤認し、ひいては、本件公訴事実に対して判決に影響を及ぼすべき事実誤認の過誤を犯したものである旨を主張する。よつて、まず、原判決が右被告人の検察官に対する供述調書の任意性につき判断を加えたこと自体の適否につき考えてみるに、原裁判所は、さきにも述べたように、裁判所法第四条の規定により、最高裁判所が本件につきさきに言渡した破棄差戻判決において破棄理由として示された判断に拘束されるものであるが、右判決において破棄の対象となつた右差戻前の第一審判決は、その理由において、判示第二として、本件住居侵入、強盗殺人の公訴事実の存在を認定し、その証拠として、被告人の検察官に対する第一回ないし第三回供述調書中の同人の自白のほか幾多の証拠を掲げているところ、右差戻判決においては、その理由において、弁護人らの右自白の任意性を否定する趣旨の上告趣意に対して判断を与えることなく、直ちに職権調査に基き、右被告人の検察官に対する自白の真実性につき、これが根拠と考えられそうな幾つかの証拠を挙げて、これに詳細な論評を加えた結果、結局被告人の検察官に対する右自白は、真実性の乏しいものではないかと疑うべき顕著な事由が存するものとの判断を示しているのであつて、右自白の任意性については、あるともないとも直接判断を示していないことは、原判決の指摘しているとおりであるけれども、右は、(一)自白の任意性は、自白が証拠能力を有するための要件である点にかんがみ、最高裁判所が、前示のように、自白の任意性を否定した上告趣意に対して判断することなく、直ちにその真実性の有無を判断している点より考えれば、該判決においては、右自白の任意性を肯定する前提に立つて、その真実性につき判断をしているもののようにも解し得られると同時に、(二)右の自白は、その任意性があつてもなくても、真実性に乏しい疑があるから、これをもつて有罪事実認定の資料とすることができない旨を判示したもののようにも解し得られるのであるが、いずれにしても、右自白の任意性が全然認められないとする趣旨ではないと解されるのであるから、右(一)のように解する場合には、原判決のように検察官に対する被告人の自白の任意性を否定する趣旨の判断は、最高裁判所の示した判断に牴触し、これを許されないものというべきであり、また、前示(二)のように解する場合には、原判決のように、まずその自白の任意性について判断したとしても、最高裁判所の示した判断に牴触するものではないと考えられるのである。しかして、原判決においては、右被告人の検察官に対する自白の任意性が認められない旨を判示しており、検察官の控訴趣意は、この点を不当として論難するにより、一応これについての判断を示すこととする。

原判決においては、前示のように、被告人は、警察で暴行、脅迫等のいわゆる直接強制を受けた疑があり、また、その取調は、土蔵内で行われたのであるから、そのような取調を受けたこと自体による心身の消耗と、再度そのような取調を受けるかも知れないとの畏怖心などが検察庁での取調の当時にもなお存続していた疑があるとして、被告人の太田検事に対する自白は、強制の影響力下でなされたとの疑があるから、任意にされたものでない疑のある自白に該当する旨の認定をしているのであるが、右結論を打ち出すため、まず、「強制の影響なしとの事情」として、1、検察官の配慮、2、取調場所の状態、3、勾留場所の状態、4、被告人の人柄の四点を挙げ、検察官の取調当時においては、「被告人が警察で強制を受けたため抱いていた畏縮した心理状態は、相当減少し、少くとも、右強制の被告人に及ぼす影響力は最早や、不当不法な圧迫とまで評価し得ぬ状態になつたと一応見受けられる。」と認定しながら、反面「強制の影響ありとの事情」と題し、1、先ず一般的にいつて、警察と検察庁での取調が引き続き行われ、しかも、両者の自白の内容が大体同一であつて、しかも警察で強制を受けたことが認められる場合には、右強制の影響である被疑者の心理の畏縮状態は、検察庁での取調終了の頃まで存続したとみられる場合の多いこと、2、本件における月日の近接、3、被告人が少年であつて、しかも、本件のような経験が初めてであること、4、被告人には、警察官と検察官との区別の認識が余りなかつたと認められること、5、北徳太郎刑事の言動からの影響、の五点を挙げ、更に、被告人も右影響が存した事情を述べている点を附加総合して、前記「強制の影響なしとの事情」を否定していることは、所論のとおりである。しかしながら、自白の任意性については、さきに、当裁判所の法律解釈の項において述べたように、その自白のされた当時において、刑事訴訟法第三一九条第一項所定の強制、拷問又は脅迫等の不法不当な圧迫が現に加えられつつあつたか、または、過去においてこれらの圧迫が加えられたことから、将来もこれを繰り返されるおそれのある状況下にこれを原因としてなされたかどうかの点を基準として判断すべきものであることは、検察庁における自白についても、警察における自白の場合と同様であるから、この観点に立つて記録並びに証拠物を検討するに、検察庁における本件の取調は、静岡地方検察庁浜松支部の取調室で同庁検事太田輝義によつて昭和二五年三月一二日及び同月一四日、同月二一日の三回にわたり行われたものであつて、右取調にあたり、暴行、脅迫等の不法不当の圧迫が行われなかつたことは、被告人自身も認めるところであるから、右取調当時において、現にこれらの圧迫行為のなかつた事実は明らかであるといわなければならない。それでは、更に将来そのような圧迫を加えられるおそれがあつたかというに、客観的には、そのようなおそれのなかつたことは、記録上明白であるが、ただ、被告人自身の主観においては、内心そのようなおそれを抱いていたかどうかの点を考えてみるに、なるほど被告人は、原判決も認めているように、昭和二五年四月七日附、昭和二六年五月一六日附各上申書、証人太田輝義の原審第一回証言の際の供述、原審第一一回ないし第一三回、第一九回各公判での供述等によれば、「自分は、三月一二日検察庁で太田検事から、警察と検察庁とは違う旨をきかされたけれども、容易にこれを信用する気持になれなかつた。というのは、当時の自分には、未だ警察での取調による打撃が残つており、しかも、三月一二日は、警察で不信な目にあつてきた直後であるうえ、当時、自分は検察官も警察官と同じような者だと思つていたからである。それに、三月六日北徳太郎からいわれていたせいもあつて、ここで若し否認すれば、たとえ、太田検事からではなくても、警察の刑事からでも、再度強制を加えられるかも知れないとの畏怖心がどうしても抜けきれなかつた。それでも自分は、太田検事から右のようなことをきかされた後には、一旦ぱ余程本当のことをいおうと思つて迷つたが、警察でも、いいたくなければいわなくてもよいなどといいながら、実際には、ひどいことをしたことなどを思い浮かべ、結局また自分がやつたといつてしまつたのである。」旨の供述をしているけれども、被告人を取り調べた検察官である太田輝義、右取調に立会つた検察事務官林宣夫の原審公判における各証言及び右太田検事作成の「二俣事件手控」と題する書面、被告人の検察官に対する供述調書等を総合するときは、被告人の警察での取調は、昭和二五年三月一一日午前中に終り、被告人は、同日昼過ごろ、浜松の検察庁に送られて来たものであるところ、本件の主任検察官であつた右太田輝義は、一刻も早く被告人を取り調べたかつたのだが、同検察官は、元来本件については、検察官としての真の心証を得たいと考え、また、検察官の取調が警察の取調と一帯であるとか、あるいは、その延長に過ぎないというような誤解を受けることを極度に注意していたので、警察での取調当時には、被告人を取り調べたこともなく、被告人に顔すらみせたことがない位であつたので、この時にも、警察からのつながりを遮断すべく、被告人を押送して来た警察官の面前で取調べるようなことをせず、特に、被告人を一旦浜松刑務所に入れ、翌一二日、あらためて刑務所の看守立会のもとに取調べることにしたのであり、同日の取調は、昼ごろから検察庁の取調室で行われたが、同検察官は、被告人から真実のことをききたい。それに、本件には有力なきめ手がないから、被告人は否認するかも知れない。否認するなら早い方が捜査もし易いと思つたので、被告人に対し、特に、穏やかなゆつくりした口調で、「警察と検察庁とは違う。自分は、検察官として、白紙の状態で調べるのだから、お前も、今まで自白していたことに囚われず、本当のことをいつてもらいたい。やらぬならやらんでよい。」という趣旨のことを二、三度念を押していつたうえ、送致の被疑事実を読んだところ、被告人は、数分間の沈黙の後、遂に「やりました。」と答えたこと、及び当日のそれからの取調においても、同検察官は、警察での供述調書に基く質問はもとより、ほとんど何らの質問もせず、一まず、被告人のいうがままを前記手控にとり、その供述が一通り終つてから、初めて種々の質問を試みておること、並びにその後同月一四日、二一日の第二、三回取調においても、被告人に対して、警察での自白を押しつけたり、これに基いて誘導尋問をしたようなことがなく、警察での自白と異る被告人の供述も、そのまま受け入れて記載したようなこともあつた事実が認められるのであつて、以上の事実と記録に現われた被告人の性行、経歴、並びに本件審理の過程において自白の任意性の争われた経緯等に照らして考察するときは、この点に関する被告人の前示供述は、検察官に対する自白を覆すための弁解に過ぎないものと解せられ、到底そのままこれを信用することができないところであり、他に右被告人の供述を裏付けるに足る証拠はみあたらないのであるから、検察官の取調当時において、将来圧迫を加えられるかも知れないというおそれは、主観的にも存在しなかつたものといわなければならない。してみれば、検察官の取調当時においては、現に不法不当の圧迫はなく、将来これを加えられるおそれもなかつたものであるから、検察庁における被告人の自白は、全く任意にされたものと認め得られるのであるが、仮りに、原判決のいうような警察での取調に基く畏縮した心理状態の存否が検察庁における自白の任意性を決する基準となるとの見解を採るものとしても、太田検事の前示の配慮によつて右警察での影響は遮断されたものと認めるのが相当であると考えられるのである。以上説示のとおり、被告人の検察官に対する自白は、全く任意にされたものと認められるのであり、従つて、これを録取した被告人の検察官に対する第一回ないし第三回各供述調書は、全部その任意性が認められ、証拠能力を有するものであるから、原判決がその任意性につき下した判断は、誤つているものというべく、論旨は、右供述調書の任意性を認める限度においては、相当であるといわなければならない。

第三、控訴趣意中公訴事実に対する事実誤認の主張について。

被告人の検察官に対する供述調書につき、その任意性が認められ、証拠能力を有することは、右に述べたとおりであるから、該供述調書にして真実性が認められるならば、これを採つて有罪事実認定の資料とすることができる訳であるから、進んで、その真実性の有無について考えてみるに、この点については、既に自白の任意性についての判断においても一言触れておいたように、さきに最高裁判所が本件につき言渡した破棄差戻判決の破棄理由において、

第一、差戻前の第一審判決及びこれを維持した第二審判決において、被害者大橋方柱時計の蓋にガラスがなかつたという事実は、被告人が自供したので始めてこれを知り得たことをもつて、被告人の自白が真実であり、従つて、被告人を本件の犯人であるとする根拠の一にしている点、

第二、一、被告人が一月六日当時着ていたというジヤンバーに、少くとも肉眼により識別できるような血痕が附着していなかつた点、

二、科学的検査の結果、被告人の着用していた衣服又は所持品等に、被告人のA型血液型と異り、被害者両名の血液型であるB型と断定のできる血液型の人血を検出することができなかつた点、

第三、一、被告人が検察官から押収にかかる匕首を示された際、それまで一度も示されたことがないのに、右匕首は被告人が殺害に使用したものに相違ないが、その時より柄がちよつと短くなつていると述べたとの点、

二、右匕首を被告人が入手した経過として供述しているところが極めて異常であり、右匕首の出所が記録上明確にされていない点、

第四、被害者方裏口に存した足跡の大きさと被告人のはいていた運動靴の大きさとが一致するか否かについて争のある点、

第五、被告人が新井孝太郎に対し、前示第一審判決が証拠として摘録するような述壊をしたとの点

について、記録に基き、それぞれ詳細な検討を加えた結果、右は、いずれも被告人の自白が真実であり、被告人が本件の真犯人であることの根拠とすることができない旨の判断を示した上、結論として、本件記録に表われた捜査の経過、被告人の供述、その他各種の資料を仔細に検討するときは、前叙の如く被告人の警察員、検察官に対する右自白は、真実性の乏しいものではないかと疑うべき顕著な事由が存するとなしたる上、被告人の自白の外には被告人を本件の犯人であると確定出来るような物的その他の証拠がないのに拘らず、被告人の右自白の真実性が疑われる本件においては、右自白を証拠として被告人に前記犯罪行為があるとして死刑を言渡した本件第一審判決の事実の認定は正当であるか否か不明であるから、本件第一審判決には、その判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認を疑うに足る顕著な事由があつて同判決及びこれを維持した原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものといわなければならないとの判断を示しているのであつて、右差戻後においては、裁判所法第四条の規定により、第一審である原裁判所においても、控訴審たる当裁判所においても、本件につき、右の判断に拘束されるものであることは、前に説明したとおりであるから、右差戻後における審理の結果、最高裁判所が右の判断を示した当時において証拠として存在した資料の外に、それだけによつて前示自白の真実性を認めるに足りるか、または、それと右差戻当時存在した資料とを総合して右自自の真実性を認め得るような新たな証拠を発見したのでなければ、最高裁判所が右自白の真実性について示した前示の判断に牴触する判断をすることは、許されないものと解すべきところ、本件記録並びに原審で取り調べた証拠物を精査し、かつ、当審における事実取調の結果を総合して検討を加えてみても、右のような新たな証拠を発見することができないのであるから、当裁判所としては、前示差戻判決の示す判断に従い、被告人の検察官に対する右自白は、真実性の乏しいものと認めるの外なく、従つて、これを録取した被告人の検察官に対する第一回ないし第三回各供述調書は、いずれもこれを有罪事実認定の資料とすることができないものといわなければならない。しかして、記録並びに原審で取調べた証拠物を精査し、当審における事実取調の結果に徴して検討考察してみても、右各供述調書以外に、本件公訴事実中右住居侵入、強盗殺人の事実を確認することのできる証拠は、どこにもみあたらないのであるから、結局右公訴事実は、これを認めるに足りる犯罪の証明がないことに帰するものというべく、従つて、右公訴事実につき犯罪の証明がないとして無罪の言渡をした原判決は、その理由の一部につき当裁判所の判断と相違する点はあるけれども、その結論を同じくする点において相当であるから、検察官の論旨は、結局理由がないものといわなければならない。

以上の次第であつて、検察官の本件控訴は、その理由がないから、刑事訴訟法第三九六条に則りこれを棄却し、当審の訴訟費用については、同法第一八一条第三項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 中西要一 判事 山田要治 判事 石井謹吾)

検察官本位田昇の控訴趣意

原判決は証拠の取捨判断を誤り、事実を誤認して無罪の言渡をした違法があつて、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れないと思料する。

原判決は、本件公訴事実中、住居侵入、強盗殺人の事実については、「被告人の自白の任意性が認められず、従つてこれを記載した供述調書もすべてこれを証拠とすることができないところ、本件においては、右自白と離れて被告人を犯人なりと断ぜしめる証拠がない」から「結局右公訴事実については、犯罪の証明がないことに帰する」と判示して、無罪の言渡をしている。

しかしながら、被告人の本件自白がすべて任意性を認められず、証拠能力を欠くものとする原判決の判断は、事実の誤認に基くものであつて、到底承服し難いものがあるから、以下において先ず警察等における自白、次いで検察庁における自白について、その任意性に関する証拠を検討、吟味し、原判決の証拠判断、延いてその事実認定に誤りがあることを明らかにする。

第一、警察等における自白の任意性

一、被告人の司法警察員に対する第四回ないし第十四回供述調書について

原判決は先ず「直接強制の有無に関する結論」と題し、被告人の司法警察員に対する自白は、「任意にされたものでない疑のある自白」に該当するから、任意性がないといい、次に「間接強制の有無」と題して、本件の取調場所は、二俣町署裏手の土蔵であつて、この土蔵での取調自体が、間接的に被告人に対する強制となつたものというべく、すなわち、被告人の司法警察員に対する自白は、「強制の下に為された自白」であるからこの点においても、また、任意性を欠く、というのである。

(一) そこで、先ず、本件被告人の取調に当つて、司法警察員により、暴行脅迫等の、いわゆる直接強制が加えられた疑があるという原判決の認定について吟味する。

原判決は、この点について、「以上いわば被告人側の反証にあたる(一)被告人の供述自体、(二)山崎兵八、小池清松の各証言、(三)坂倉政敏ほか三名の各証言、(四)土蔵での取調がもたらす疑並びに(五)その他の五者は、また相互に補強し合つてその信憑力を高めるものであるが、それらの反証を綜合し、更にそれを前記のいわば検察官の立証にあたるものと比較考量するときは、当裁判所としては、右反証全体の証明力については、未だ若干の疑問なしとしないので、本件取調において暴行、脅迫等の直接的強制事実が存したとの認定には到達しないけれども、しかしまた、右反証全体の証明力はこれを到底否定ないし軽視することもできないので、右の事実が存在しないとの確信にも達し得ないものである(すなわち、本件取調には右事実存在の疑が残る)」。というのである。そして、本件取調において暴行、脅迫等の強制を受けたという被告人の供述について、1、先ずその経過からみて、もし強制を事実受けていたとすれば、通常当初からくわしくその内容を訴えると考えられるのに当初は簡単に述べ後に至つて順次具体的にその肉付けをしているかの如き観を呈している。2、供述の内容からみても、前後矛盾して一貫しない点、抽象的な部分、合理性を欠く疑の濃厚な部分が存する。ことを認めて、その信憑性に疑問を持ちながら、反面、「いまこれを直ちに信憑力なしとして否定し去ることもできない」としている。その理由として原判決のいうところは、次の諸点に帰する。1、被告人の年令、性格からみて当初からくわしく強制事実の内容を述べなかつたことは、あやしむに足りない。2、供述の内容に矛盾点、抽象的な点、不合理な点があつても当時より現在までの年月の経過等から考えてあやしむに足りない。3、二月二十七日の自白開始時及び取調終了時についての被告人の供述は信憑性がある。4、三月六日北徳太郎刑事から暴行脅迫を受けたという被告人の供述は、一概に否定できない。

しかしながら、被告人は、本件住居侵入、強盗殺人の公訴事実について、犯行を否認し、いわゆる、アリバイを主張すると共に、警察における自白は、取調刑事の暴行、脅迫等があつたため、心ならずも「虚偽」の自白をしたと主張するものである。すなわち、被告人の供述全体としては、自白の「任意性なし」との主張と自白の「真実性なし」との主張とが両者一体不可分的に主張されていることに注目する必要がある。もとより、自白の任意性と真実性とは区別せらるべきものであり、証拠能力は、証明力の前提問題として判断されなければならないから、被告人の供述を離れて、明確に自白の任意性なしと断じ得る証拠がある場合は、当該自白の真実性について判断を進める必要もなければ、また、判断すべきでもないことは当然である。ところが、本件の場合は、これと異り、「本件取調には警察官の暴行脅迫あり」という被告人の供述(公判廷、以下同じ)を除いては、本件自白の任意性なしと断じ得る証拠は全く見当らないのである。

従つて本件において、被告人の供述に基きこれを証拠として自白の任意性ありや否やを判断する場合は、右供述の信憑力の検討吟味は、自白の真実性ありや否やの観点からも行う必要がある。けだし、若し、本件自白が真実を述べていない、虚偽の自白であるならば、その誘因である強制事実の存在は、強い蓋然性の下に推認され、前記被告人の供述の信憑力は極めて高いものとなるであろうし、また、若し右自白が真実を述べているものならば、すなわち、被告人が本件の犯人ならば、犯行否認の手段として任意性を争い、刑責を免れんとするための虚偽の主張とみられ、その供述は、全面的に措信し得ないこととなるからである。されば、本件について、さきに東京高等裁判所(前第二審)が言渡した判決は、本件自白の任意性について、「(前略)取調に当つた警察職員によつて所論のような拷問脅迫がなされたとは認められない。板倉政敏、小池清松、山崎兵八の各証言は容易に措信できない。(中略)なお原審証人新井孝太郎の証言によれば被告人は六日の夜は町でぶらぶらしていたとか、家にいたとか言えば家の人はきつと僕をかばつてくれたと思う。それを生熊麻雀荘に居たと言つたので今度は誰と一緒に居たと突込まれ、仕方なく川島興業部の小田とやつたと言つたが結局やらなかつたことが判つて、もう駄目だと観念した旨同証人に語つているのである。また本件被害者の柱時計にガラスがなかつたことは被告人の供述により警察官において、はじめて知つたことは記録上明白である。これらの事情は被告人の自白の任意性及び真実性を裏付ける情況証拠とするに足りる(後略)」(記録第二、五一六丁裏七行目より第二、五一七丁裏五行目)と判示し、本件自白に真実性ありや否やの観点からも、その任意性の有無を判断していることは、極めて妥当である。

原判決は、本件自白が「果して真実を述べているや否やが問題である」としながら、被告人の本件自白が「すべて任意性を認められず証拠能力を欠き、したがつてその果して真実を述べているや否やにつきこれを判断するに由なきもの」と判示し、本件自白の真実性の有無については、判断を示していない。これは、自白の任意性が真実性の論理的前提であることを示す限りにおいて、決して誤りではないといえる。しかし、前記のように、本件の場合は、自白の任意性なしと主張する被告人の供述が果して信用し得るや否やが問題でありこの供述を離れて他に本件自白に任意性なしと認め得る証拠はないのであるから、この問題を解決するためには必然的に本件自白が果して真実を述べているや否やの問題との関聯において、すなわち、被告人の供述全体としてその信憑力を検討し、吟味しなければならないのである。したがつて、原判決が本件自白について、その真実性の有無を検討、判断しなかつたことは、そのこと自体、既に採証の法則に反するものといわざるを得ない。

そこで一体本件自白は虚偽を述べているのか、真実を述べているのかを検討すると、先ず第一に本件自白の内容は、詳細綿密であつて、極めて具体的であり、また、真犯人でなければ到底供述し得られないとみられることを述べている。すなわち、(1) 被害者方の柱時計の蓋にガラスがなかつたと供述していること。(河合国明の証言-記録第二、九七五丁表二行目より同丁裏八行目)(2) 本件犯行後逃走の際、農協の傍で子供の笑声のようなものが聞えた、と供述していること。(同証言-記録第二、九七五丁裏九行目より十三行目)(3) 犯行前一度も行つたことのない被害者方の内部の状況につき箪笥の模様、室内の様子等につき詳細な供述をしていること。(同証言-記録第二、九七六丁表一行目より十一行目)(4) 被告人の身柄を押送した新井孝太郎巡査に対し、犯行前後の状況や感想を述べていること。(新井孝太郎の証言-記録第七九六丁裏二行目より同八〇四丁裏十一行目、第三、五九五丁表六行目より第三、五九九丁裏一行目)(5) 検事に匕首を示された際、自分が犯行に使つたものより少し短い旨述べていること。(太田輝義の証言-記録第二、七八二丁裏三行目、西行目)(6) 起訴状送達後、検事に対し、起訴状記載事実は大体間違いはないが一つ違つて居るところがある。それは母親の傷が逆になつていると述べていること。(同証言-記録第二、七八四丁表十三行目より同丁裏七行目)次に、被告人のいわゆるアリバイ主張が、虚偽であることである。すなわち、被告人は、本件住居侵入、強盗殺人の犯行を否認し、「一月六日夜午後八時頃から約一時間位二葉湯で入浴して帰宅後午後十時頃父の支那そば売りの手伝に行つた」と主張するが(記録第六二五丁裏五行目より同第六二八丁裏十二行目)、被告人の父須藤鉱、同母須藤はなの各検察官に対する供述(記録第八三三丁、同第八七二丁)、浴場経営者斎藤はつの証言(記録第一、一一三丁)、被告人の知人で当日午後八時頃二葉湯へ入浴に行つた篠田進、生熊敦秀、町田武久の各供述(記録第二七五丁、二八〇丁、二八二丁)を綜合すれば被告人の右アリバイ主張は全く虚構の遁辞であることが明らかである。

このようにみてくると、被告人の自白は真実を述べているものとしか考えられないと同時に、取調刑事の暴行脅迫等によつて、このような自白をしたという被告人の供述は、実は、犯人である被告人が、犯行を否認するための弁解であることが、判明するのである。従つて、本件取調に暴行脅迫等があつたと主張する山崎兵八、小池清松の各証言、本件関係で強制を受けたという板倉政敏、中谷邦男、野沢敏夫、石井利一の各証言があつても、もともと、これらの証言は、原判決も認めているように、その信憑性が甚だ低く、これらをもつて、直ちに本件取調に強制があつたことの有力な証拠とはなし難いものである。被告人は蹴られたり、殴られたり、脇の下をくすぐられて二度も気絶したとか、鼻の穴に指を入れて引ずり廻されたと主張しておるが、言語に絶する程の拷問でも行われたというのならともかく、高々蹴つたり殴つたり、まして脇の下をくすぐられた程度で発育盛りの青年が気絶することは絶対にあり得ない筈であり、又鼻の穴に指を入れて引ずり廻す等の曲芸も警察官としてはなし得ないことと思料せられるので被告人の右供述は全く措信し得ず、単に犯行を否認せんがための弁解に過ぎないものといわざるを得ない。又、証人山崎兵八については原判決も多分に偏執病的傾向を持つた性格異常者で、些細な憤満や誤解から独自の論理と判断をもつて誤つた結論を導き出すおそれを多分に有する人間であるから、同人の証言は信憑性が甚だ低いと認めながらその証言を心証形成の有力な資料としている傾きが窺われるのである。

同証人の証言によれば、二月二十四日被告人が検挙せられた直後、紅林警部補が捜査官全員に対し、この被疑者は仲々口を割らないから、少しヤキを入れなければならないが、幸浦事件の例もあるから傷跡の残らないようにやれと訓示したことになつているが、明治、徳川時代の刑事や与力ならいざ知らず、いやしくも新憲法や新刑事訴訟法の下で捜査に従事する者の幹部が、かかる訓示をするとは想像も及ばぬことであり、まして一応は窃盗容疑者として逮捕した者をその容疑について何等の取調もせず、如何なる人物かも十分知らない国警本部の警部補が、この被疑者は仲々口を割らないからヤキを入れろなどと、逮捕直後に訓示することは絶対に有り得ないと断言してはばからないところである。このような条理に反したことや、土蔵で取調べたのは、その中で拷問しても物音が外に聞えないためである等と全く自己の独断に基く想像を臆面もなく供述する山崎証言は措信する価値がなく、民間人であり、取調に全然関与したことのない小池証言は単なる噂を誇張した伝聞証拠であり、板倉政敏外三名は具体的に警察官の暴行を供述しておるというが、仮りに警察官が容疑者に暴行を加えるとしても凡そ通常人であればどの程度のものであるかは容易に想像し得ることであり、加うるに当時新聞紙上で幸浦事件や本件に関し捜査官に暴行の事実ありとの被告人等の主張が盛んに書き立てられたので同地方の人々はその内容を知悉しておる筈であるから、同様の暴行を受けたと供述することは極めて容易であつて敢えて異とするに足らない。然も板倉の供述は支離滅裂で体をなさず、数日病臥したと言うが、その事実は認められず、被告人須藤でさえ二十四日逮捕せられ、数日間は専ら窃盗の事実について取調を受けておるのに、野沢、石井の両名はいきなり呼出されて本件強盗殺人事件の容疑で取調べられ、殴つたり蹴つたりせられたと主張するが、他の犯罪の容疑もなく、無暗に勾留出来る訳がなく、僅か十五才の中学生を殴打する道理もないから、これらの証言は全く虚構の事実を誇張しておるものと断定せざるを得ない。

以上、いかにこれらの証言を「綜合判断」してみても、本件取調に強制事実が存在したことは勿論、その疑についてすら、何等本質的な証明力を生み出すものではない。いわんや被告人がいわゆる土蔵内で取調べられたこととか、警察が本件の犯人を検挙しようとして焦つていたこと、被告人が満十八才十月の少年であつたこと、被告人が送検後の検察官の取調中、警察を信用しない旨及び二俣町署より浜松の刑務所の方がよい旨を時時もらしていたこと、があつたとしても「警察での強制」を疑わなければならない理由にはならないし、そのために、被告人の供述が弁解であつて、全く措信し得ないことには、何等の影響を与えるものではない。要するに、「本件取調に強制あり」との被告人の供述は、全く措信し得ず、「本件取調に強制なし」と証言する紅林麻雄、河合国明、鈴木忠雄、伊藤久一、北徳太郎、松島順一、竹島鹿次の各供述にはその信憑力を疑わしむる何物もない。しかるに、これらの証拠を排斥して被告人の弁解を容れ、本件自白の任意性を否定した原判決は、証拠の価値判断、取捨判断を誤つて、事実を誤認したものと謂わざるを得ない。

(二) 次に、被告人の取調場所が土蔵内であり、この土蔵での取調が間接的に被告人に対する強制となつたという、原判決の判断を検討する。

原判決は、「本件土蔵は、既にみたように、警察の裏手に在る頑丈な二階造りの土蔵であつて、その階下内部は、木骨式厚壁と低い頑丈な天井とで囲まれ且つ被告人取調の際には大体入口の戸がしめられていたと認められるから内部は一層暗い。しかも、ここで調べられた被告人は、少年であつて体格も頑丈でなく、そのうえ初めて今回のような本格的拘束生活を経験して相当畏縮した状態にあつたと認められるところ逮捕後二十六日までは土蔵以外の場所で調べを受けたりしていたものだが、二十七日突然このような土蔵に入れられ、少くとも二名の屈強な刑事から調べられたというのであるから、これは充分被告人の自由意思を抑圧するに足りるもの、すなわち不当不法な圧迫というべきものである」と判示するのである。しかしながら、憲法第三十八条一項及び刑事訴訟法第三百十九条一項にいう「強制」は「拷問」「脅迫」以外において自白を強要する方法であつて、人権侵害と認められるものと解されるから、取調の場所が適当でないということ自体が「強制」に該当するとは考えられない。更に、原判決は、本件被告人を土蔵で取調べたことは、被告人の人権に対する不当不法な圧迫であるというが、当時の二俣町警察署は、定員十三名に過ぎない自治体警察であつて、被疑者の取調室は設備されていないため、随時刑事室或は宿直室で取調べていたが共犯者が多数であるような場合は、元来は署員の柔道練習場或は署員に対する訓示を行うため使用する、いわゆる土蔵で取調べることもあつた関係から、本件被告人も、やむを得ず(本件の場合、刑事室、宿直宮は、いずれも使用出来ない事情にあつた)右のいわゆる土蔵で取調べたのである(証人鈴木 の供述-記録第三、八八九丁表十行目より同第三、八九四丁表八行目)。このように、他に取調の場所がないため、やむを得ず平素柔道の練習場等として使われていた場所を被告人の取調室に充てたに過ぎない場合、被告人の自白を強要する方法を用いたことになるとは到底考えられない。殊に、取調に当つた警察官は本件被告人を土蔵で取調べることにより不法不当な圧迫を加えてその自白を求めようとする目的乃至認識を持たなかつたのであるから、本件被告人をいわゆる土蔵で取調べることが、被告人の人権に対する不法な圧迫であるという原判決の判断は誤りであつて、結局「強制事実の存在」を誤認した違法を免れないものである。

二、被告人の供述書等について

1、被告人の供述書二通

原判決は、被告人が三月六日自筆で作成した「私の現在の心境」と題する書面及び無題の書面(いずれにおいても犯行を認めているもの)について、「この二通の陳述書は、たとえ形式は自発的であつても、結局その供述に任意性ありとは認められず、証拠能力がない」と判示し、その理由として(イ)被告人供述の信憑性を一概に否定し得ないこと、(ロ)土蔵という圧迫下で、しかも暴行脅迫の行われた疑のある当時の状況下で作成されたことの二点をあげている。しかしながら、先ず原判決のいう被告人の供述は「三月六日の朝土蔵の中で前に云つたように北に否認の供述をしてひどい目にあつた後、名前を知らない刑事から「今迄どおり本当のことを言わないか」と言われたので仕方なく「やつた」と言つたところ「口だけでは駄目だから書面に書いてみろ」と言われて、やむを得ず「私の現在の心境」というのを書いたのである。そして、それから取調があつて供述調書が作られた後、取調官から「共犯関係を書いてみろ」といわれて、不本意ながらもう一通の書面を書いたのである」というのであつて、右供述内容の重要部分である、「書面を書かされた相手方」について、より具体的に述べ得ると認められるのに拘らず、単に「名前を知らない刑事」とか「取調官」というように、抽象的にしか述べていない点が注目される。これに加うるに、右供述書の内容は、真犯人でなければ到底述べられないと思われることが記載してあり、極めて真実性に富むことを考え合わせると、被告人の前記供述は、自白を覆すための巧妙な弁解とみられ、信用するに値しないものである。従つて、証人河合国明の「六日の朝、非常に泣いておりましたので私がどうしたのかと言つたら今日は大橋さんの命日だから是非線香を上げさせて頂きたいと言い、紙と筆記するものをかしてくれと言つたので渡してやると泣きながら二、三時間かかつてやつと書面を書いたのです」という供述(記録第二、九六七丁表五行目より十一行目)こそ「事実」を述べているものと認められる。次に原判決のいう前記(ロ)の点であるが、本件取調に暴行脅迫等の強制事実があつたかどうかについては、証拠上消極に認定するを相当とすること、土蔵内の取調自体を目して不当不法の圧迫と解すべきではないことについては、前述した通りであつて、この点から、本件自白の任意性を否定することは不当である。要するに、本件供述書作成当時において、その任意性を否定すべき何等の事情が認められないのにその証拠能力を排斥した原判決は、証拠の価値判断を誤つて事実を誤認したものである。

三、被告人の副検事に対する供述調書及び裁判官に対する陳述調書について

被告人は三月八日、本件住居侵入、強盗殺人事件につき、検察官の弁解録取、及び裁判官の勾留質問に対し、いずれも犯行を認める旨自白しているのであるが、原判決はその際、被告人が何等強制を加えられなかつた事実を認めながら、警察における直接的強制事実を故意に仮定した上更に間接的強制事実を結びつけ「未だ警察での強制的取調による畏縮した心理状態を脱していなかつたものと認めるに充分である」として、右自白の任意性を否定し、その根拠として(イ)被告人が警察官と検察官等との区別を充分認識していなかつたと認められること、(ロ)質問場所が同一警察内であつたこと、(ハ)勾留質問後再び警察に戻されることが予想され得たこと、(ニ)被告人が「三月六日北から、今後も検事や判事に否認すると、何処まででも行つてひどい目にあわせてやるといわれていたしまた勾留当日松島から自白は簡単にするようにともいわれていたうえ、勾留質問の場所も二俣町署の署長室で、しかも新井孝太郎ほか、一、二名の警察官も立ち会つていたので、三月八日には自由な発言ができなかつた」と述べていることの四点をあげている。

しかしながら、被告人が取調刑事から、その主張するような暴行、脅迫を受けたかどうかについては、前述のように、証拠上消極に認定するのを相当とするから、原判決のいうような「影響力」の有無を論ずる余地はない。ただ被告人が、いわゆる土蔵で取調べられたことと、右自白との関係については、検討する必要があろう。原判決は、被告人の土蔵での取調を間接的強制事実とみて、これが被告人を当分の間、一定の畏縮した心理状態に陥らしめたというのである。その根拠は要するに、被告人がそのように述べているから、ということに帰着し、その他には何等これを認め得る証拠はないのである。すなわち、原判決は被告人の供述以外に、前記のような理由をあげて、先ず、被告人が警察官、検察官、裁判官の三者について、その区別を充分認識していなかつたというが、これは証拠に基かない、単なる推測を出でない。成程、当時、被告人は現行少年法にいう所謂少年ではあつたが、既に満十八才十ケ月に達し(旧少年法は少年と認めなかつた)、社会人としての経験も少からず有し、検察官の取調は受けたことはなかつたとしても、警察の取調や家庭裁判所の審判を受けたことがある。従つて被告人が捜査機関その他一般に法律制度について特別の知識、経験を有しなかつたからといつて、必ずしも警察官、検察官、裁判官を同一視していたとはいえない筈である。

次に原判決は、質問場所が同一警察内であり、殊に三月八日は未だ警察の取調中であつて、勾留質問後再び警察に戻されることが予想され得たから、被告人は前記畏縮状態から脱し得なかつたというが、これも根拠としては甚だ薄弱で、要するに、一の推測に過ぎない。結局、原判決が最も有力視したのは、被告人の前記供述ということに帰着するのである。しかしながら、被告人の右供述内容は、極めて真実性に乏しいものである。すなわち、被告人は三月六日北徳太郎巡査部長に対し否認の供述をした際、同人から激しく暴行脅迫を受け且つ「今後も検事や判事に否認すると何処まででも行つてもつとひどい目にあわせてやる」とおどかされたというが、このような事実は、被告人の供述以外に肯認し得る証拠はないのである。むしろ、北徳太郎の証言(記録第八九九丁、同第三、七二八丁、同第四、九四五丁)によれば、同人が二月二十七日以降三月五日夕方までに従事した本件捜査の内容、右三月五日夕方から翌六日、夕方まで自宅に帰つていた事情、模様、その他本件捜査に従事中被告人の顔を見、或いは道場の入口まで行つたその回数、事情等について詳細且つ具体的な事情が明らかである。従つて被告人の主張するような暴行脅迫等の強制事実はなかつたと認定するのを相当とする。

更に被告人は勾留当日松島(巡査部長)から自白は簡単にするようにといわれたというがかかる注意を与える必要もなければ、いつたという事実についてもこれを認めるに足る何等の証拠がないのみならず、右供述も、単に被告人の弁解に過ぎないことが、被告人の供述自体によつて明らかである。すなわち、被告人は、原審第十二回公判において、「(前略)八日の勾留質問のある前にも「これから裁判所の人が来て聞くけれども、前に言つたように簡単明瞭にちやんと言わなければ駄目だ」と松島部長が言つたのです」(記録第四、二六〇丁裏二行目より六行目)と供述しながら、同第十三回公判においては「その後裁判所の調べがある前だつたと思いますが、相手はおぼえておりませんが、土蔵の中で「これから判事さんが調べるけど、今まで述べたように、やつたというように言わなければ駄目だ」と脅かされました」(そのように言つたのは、被告人をひどい目に遭わせた男かどうか)「ひどい目に遭わせた男です」(名前は記憶しておるか)「名前は記憶しておりません」(記録第四、三八〇丁表五行目より同丁裏二行目)と供述している。このように、前回公判では「松島部長が言つた」と明確に指摘しながら、次回公判では「相手はおぼえていない」「名前は記憶しない」と曖味な供述に変り、また殊更らしく「脅かされた」と誇張した表現を附加していることは、その真実性を疑わしむるに充分であつて、到底措信し得ないものである。

されば、原判決が前記の如き理由により、前記二通の調書について、その任意性を否定したことは、証拠価値のない被告人の供述を措信して事実を誤認するに至つたものといわざるを得ない。

四、新井孝太郎に対する被告人の自認について

被告人は、三月十一日二俣町警察署巡査新井孝太郎、同川西富一の両名に附添われ、市川巡査の運転するダツトサンで浜松の検察庁に押送されたが、その途中、車内で右新井巡査と犯行に関して種々談話を交わしている。その状況、被告人の語つた内容について、右新井巡査は前一審(静岡地方裁判所浜松支部)第三回公判において、次の如く証言している。(証人は今度の事件に関して須藤を二俣町署から浜松の検察庁へ押送した事があるか)「押送しました」「署長の命に依つて川西巡査、市川巡査の三人で来たのです」(その時被告人と此の事件に関して話した事があるか)「あります私は昨年八月から司法係刑事をずつと遣つて居りましたが、斯様な大きな犯罪は田舎としては珍しい事でもあるし、色々と勉強にもなると思つて斯様な犯罪者の心境について特に自白後における心境は什うかと関心を持つたのです。そしてそれは確か三月十一日と思いますが、その日は天気も良く須藤は風呂へも入り散髪をし、明朗な顔をして居りましたが昼食後一時頃からダツトサンへ乗つて二俣を出発した訳です。そして私は岩永寺の辺で須藤に対して、什うだ今日はと聞くと、須藤は風呂へも入り散髪もしたし大変気持が良いと言つたのです。それで私は同人に対しお前も三回程も警察へ連れて来られて調べられたが、判らなければ良いがと思つて随分苦心した事だろう、と聞くと同人は私は別に心配はないと思う自信があつた、証拠を現場へ残して来なかつた事に付ては一番自信があつたと言い、短刀も手袋も自分の物ではない、誰が落したか判らない物だからそれを現場へ置いた事に付てはそれから足がつく事は絶対にないと謂う自信があつたからだ、亦その短刀等には指紋もない。然し気懸りになつた事は箪笥を当つて中を探した際、箪笥に指紋を残さなかつたかと謂り事丈だ、それから最初会計さんに呼出されて聞かれた時も唯時計を盗んだ事丈で殺人の点については突込んで来なかつたが二回目に呼出された時も南条方から靴を盗んだ事丈を調べられ殺人の事は突込んで来なかつたので、それなら家へ帰えれると思つて居たらその通り家へ帰えして呉れた、三回目に紅林主任が直接調べた際にも私は自信はあつた、その時は唯、お前犯人だろう、此の犯人はお前より外にはないと言つたが証拠で詰めては来なかつたから矢張りその時も家へ帰れた。それから四回目に町の警察の巡査が来いと言つて来たがその時初めて窃盗の点について調書を取られ、その時は調書を取るからと言われたので、今日は帰えれないかも知れないがそれでも一、二日後には帰えれる自信はあつたと云つたのです、それで私は何故お前は何時迄ぐづぐづして居たのだ、什うして早く高飛びしなかつたかと須藤に聞いたところ、同人は僕は無職同様で職がない、だから高飛びしても行先で以つて生活に困り食えなくなる事は当然の事だから高飛は出来なかつた。それに高飛びすれば直ぐ怪しいと思われ警察に追われるからその為にも高飛びは出来なかつたと言いました。それから今度は、今迄は品物を盗んで来たが、什うして今度は品物を持つて来なかつたかと聞いたところ須藤は今度は今迄とは違い殺人を遣つて人を殺したのだから品物を持つて来ると必ずそれから足がつく泥棒位いなら警察も良い加減に捜査を打切るが殺人となると何時迄も追求するから左様な事は出来ない、一且は新しいズボンを持出そうとしたがそれを亦置いて来たと言つたのです。それから今度はそれでは取調べに付て一番失敗したと思つた事は什んな事かと聞いたところ、今になつて考えてみると、六日の夜には何処へ行つて居たかと聞かれた点に付て生熊麻雀屋へ行つて居たと答えたのが一番の失敗で、その点については、六日の夜は町でブラブラしていたとか、家に居たとか言えば家の人は僕の為にきつと弁護して呉れるから、そう言えば良かつたかも知れない、それを生熊麻雀屋に居たと言つたのが一番の失敗だ、そう言つたため今度は誰と一緒に遣つたかと突込まれ、仕方なく川島興業部の小田と遣つたとは言つたが、刑事が調べた結果遣らなかつた事が判つた時、もう駄目だと観念した、それからもう一つ失敗したと思つたのは勾留を請求された時判事さんから泥棒の嫌疑で勾留される事になつたと聞いた際もう駄目だいよいよ之れからは殺人の事を聞かれると思つたと言つたのです。次に私は須藤に、お前も警察に長い間追われたがそれに付ては随分苦しんだ事だろうなあその間は枕を高くして眠れなかつたのではないかと聞いたところ須藤は僕はそんな事はなかつた僕は良く眠れた、警察へ留置された時も眠れた。それから被害者の初七日とか六の付く日とかは動揺したのではないか、亦被害者の菩提寺は永林寺だと謂う事だがそれを知つているかと聞いたところ、須藤は、僕は左様な事には無とんじやくで初七日も六の付く日も何んとも思わなかつた、そして警察の動きに付ても別に関心を持つた事はない、新聞も家で取つている新聞を見て捜査情況を知る丈で、他の新聞迄漁つて見た事はないと言い、次にそれでは何が一番申訳ないと思うかと聞いたところ須藤は斯様な飛んでもない事をして父母や弟達に申訳ない、それ丈が自分は申訳ないと思うと言つて涙を流しました。それから私は須藤にお前は四人も殺ろしてたつた千円か千五百円の金しか掴まなかつたが什うしてそれ丈しか掴んで来なかつたのか、その気持が判らないと言つて聞いたところ同人は僕は大きな欲望があつて遣つたのではない、その時は好きな麻雀がやれて小遣いに困らなければ良いのであつて別に大金が欲しいと思つて遣つたのではない、そして兇行の際にはラジオが放送劇か何かを遣つていた記憶だと言いました」(その話は浜松へ来る車の中でしたのか)「そうです、私は須藤と向合せになつて話したのです」(記録第七九六丁裏二行目より第八〇四丁表十一行目)更に、原審第六回公判においても、同巡査は次のように同趣旨の証言をしている。(被告人に対する警察側の調べが済んで、証人が浜松の検察庁へ身柄を送致したことがあるか)「あります、私が身柄を押送しています」(中略)(証人が被告人を護送するには何でしたのか)「当時二俣町署にダツトサンがありましたので、そのダツトサンで押送しました」(証人が運転したのか)「市川巡査が運転しました」(誰々が乗つておつたのか)「ダツトサンを乗用車に改造したもので大勢は乗れないのですが、私と須藤と川西富一巡査、それに運転の市川巡査の四人でした、そして私が押送の責任を負つておつたのです」(被告人を真中にして証人と川西が両側におつたのか)「いいえ、私は被告人と向い合せでありました」(その護送中に、被告人が証人に対し本件について何か言つたことがあるか)「ありました」(どんなことを言つたか)「その点については浜松の第一審の時も述べたことがありますが、現在は大分記憶も薄くなりました、その日は風のないポカポカした日でありまして町の人が大分大勢署の前へ来てざわめいておりました、それでこつそり裏門から気ずかれないように出発し、三十分位走つて赤佐村を通る頃だつたと思いますが、私は煙草をのみ、被告人は煙草は嫌いだというので吸わずにおりました、そして被告人の頭を見ると屈託のない頭をして別に沈んでいる様子もなく手持無沙汰のように見受けられたので、私も犯人について一つの空想をめぐらしたこともあつたから、こんな時に一つ被告人の心境を聞いて見ようという気持が起つて被告人に「須藤君お前馬鹿を見たな、ぐずぐずしていないでどこかえ高飛びをすれば良かつたじやないか」と言うと「そうですね、しかし僕は商売がないもんですから逃げても、行つた先で直ぐ食べるに困つてしまうしそれに逃げれば余計警察でも調べるからと思つて逃げなかつた」と言うので私も「成程なあ」と言つておつたのです、そして「お前今度刑事の調べを受けて何か失敗したと思うことはないか」と聞くと須藤君は「僕は一月六日の夜は麻雀屋で麻雀をやつておつたと述べたので、誰と麻雀をやつておつたかと突つこまれ、困つてしまつて、常に一緒に行つてる人の名前を言つてしまつたが、あれは失敗だつた、麻雀と言わずに町をブラブラしていましたと言えばよかつたし、うちにいたと言つても良かつた、家にいたと言えばお父さんお母さんが僕の為に弁護してくれるからそれで良かつた」と屈託なく言つておりました。そこで更に私が「須藤君、お前千円とか二千円の金を盗つただけで四人も殺すなんて馬鹿なことをしたつけな」と聞くと「あの時は麻雀にこつていましたし、そんなに大金をほしくて入つたんではありません、いくらかでもあればいいという気持で入つたんですよ」と大慾があつてやつたのではないというようなことを言つておりました。それで私が「選びに選んで貧乏の家へ入つたもんだな」と言うと須藤君は「そんなに沢山金をほしくてやつたんじやない」と言つておりました。それから更に私が「君も殺人事件があつてからというものは応援の刑事まで来て町を回つて歩いていたから家にいても後を追かけられているような気がして夜も落着いて寝られなかつたのではないか」と聞くと、被告人は「そうでもないようですよ、僕は今度で三、四回調べを受けたが、その度毎に泊められずに帰されたから自信ができて安心した、又一番最初紅林さんから調べられ、殺人をやつたのはお前だろうと言われた、特別に証拠を突きつける訳でもなくグングン追及もして来なかつたから警察では僕がやつたということをつかんでいないのだと思つた、だからそんなに疑われているような気持にもならなかつた」と言つておりました。そこで私が「毎日新聞にデカデカと出ていたから毎日のように新聞を見ては刑事がどういう方面に見当をつけているか知つていただろう」と聞くと「僕のところは静岡新聞だけとつておるので静岡新聞は見たがその他の新聞は余り見なかつた」と言つておりました。それから私も本件のような大きな犯罪を犯した人間は被害者の命日とかにお参りに行くというようなことを聞いたことがありましたので一つ聞いて見ようと思つて「須藤君大橋さんのところの初七日にはどんな気持になつたか」と聞いて見ると「別に気にしなかつた」と言つておりました」(その他にはどうか)「それから更に私が「今度の事件でこれは駄目だと一番観念したのはどういう時だ」と聞いてみたら被告人は「僕は今までは三、四回調べられたが、その都度泊められずに帰された、しかし今度はそうでなく、最初は窃盗の件で調べられたのに泊められた、しかもそれから二日ばかり経つて二俣の裁判所へ連れて行かれ、まだ警察の方で聞きたいそうだから今日から勾留にすると言われたのでこれは窃盗でなく殺人のことで調べられる、いよいよ駄目だと思いました」という趣旨のことを言い、結局今度は泊められて勾留にされたことと、麻雀をやつていたと言つてしまつたことの二つでとても駄目だと一番観念したと言つておりました(後略)」。(記録第三、五九三丁表三行目より同第三、五九九丁表三行目)。しかるに、原判決は右の事実について「(前略)被告人の右自認なるものは、一応任意に為されたように見えるのである。しかし一歩ひるがえつて次のような諸点を考えるならば、その点に疑問なしとしないのである。すなわち、被告人は警察での強制的取調により畏縮した心理状態にあつたと見られるところ、右自認の供述が為されたのは、僅かに警察の門を出た直後のことであり、しかもそれは釈放せられてではなく、検察庁に送られるためである。しかも、その供述のなされた状況は車中、かつて被告人を取り調べた新井巡査ほか二名の巡査に囲まれ、その種々の質問を受けながら応答しているのであるから(その際多分に自ら進んで説明したとみられる部分が存するとしても)当時の被告人の心理全体には未だ前記のような畏縮状態が存していたものとみるのが相当であり、たまたま送検の途次、談話の形で被告人が種々述べた状況があるからといつて、そのときすでに右の如き強制の影響力が存続していないものとみるのは、近視的観察であつて相当でない」と判示している。しかしながら、右判示は根拠薄弱な独断的見解であつて承服し難い。先づ、原判決は当時被告人が「警察での強制的取調により畏縮した心理状態にあつたとみられる」という前提を置いているが、これは被告人がいわゆる土蔵内で取調べられたことを、いわゆる間接強制とみて、その影響力なるものを案出した独自の見解であつて、いわば一の想像に過ぎない。むしろ前記新井巡査の証言によれば、当日被告人は入浴と散髪をして明朗な顔をして居り、「大変気持が良い」といつて、屈託のない顔で別に沈んでいる様子もなかつたことが明らかであるから、「畏縮した心理状態」にあつたとみることは無理である。

次に、原判決は被告人が「釈放されてでなく、検察庁に送られるため僅かに警察の門を出た直後」であることと、「かつて被告人を取り調べた新井巡査ほか二名の巡査に囲まれ、その種々の質問を受けている」ことの二点をあげて当時被告人が引続き「畏縮した心理状態」にあつたことの理由としているようであるが、これらの点についても前記新井巡査の証言によれば被告人は二俣町署をダツトサンで出発後三十分位たつてから、本件強盗殺人に関しては、被告人の取調に全く関与しなかつた新井巡査と車中、向い合せになり、雑談的に話合つている、いわば和やかな場面であつて、決して「警察の門を出た直後に三名の巡査に囲まれ、その種々の質問を受けた」というような緊張した雰囲気ではなかつたことが明らかである。ところで被告人自身は右車中での自認について、前第一審第三回公判における証人新井孝太郎の証言後、次の如く述べている。(今証人の言つた事は什うか)「私はズボンの話やラジオの話は自動車の中ではしなかつたと思います」(その他の点はどうか)「それ以外は大体証人の言つたと同様の事を言つたと思います」(記録第八一〇丁表二行目より十行目)また、原審第六回公判における同証人の証言中、被告人は(「千円やそこらの金を取るのに、四人も殺すとはどういう訳か」という趣旨のことを聞かれたことはあるのか)「それは聞かれたと思います」(それに対する被告人の答えはどうか)「その時はまだ否認していなかつたので、証人の聞くことにあいずちを打つ程度において「大金を狙つたのではない」ということを言つたのです」と供述しているのみであつて、原判決のいうように「警察での強制的取調により畏縮した心理状態にあつた」との供述は全く見当らないのである。されば原判決が被告人の新井孝太郎巡査に対する前記犯行自認の供述を目して「警察での強制的取調がもつ影響力の存続下に為されたもの」と認定し、その任意性を否定したことは、不当の独断といわざるを得ない。

第二、検察庁における自白の任意性

原判決は、被告人の太田検事に対する自白は、強制の影響力の下で為されたとの疑があるから、「任意にされたものでない疑のある自白」に該当すると認定し、これを記載した被告人の検察官に対する第一回乃至第三回供述調書は、その全部が任意性を欠いで証拠とすることができないと判示する。その理由として、原判決は、被告人が警察で暴行、脅迫等のいわゆる直接強制を受けた疑があり、また、その取調は、土蔵内で行われたのであるから、このような取調を受けたこと自体による心身の消耗と、再度そのような取調を受けるかも知れないとの畏怖心などが、検察庁での取調の当時にも存続していた疑があるというのである。原判決は、右結論を打ち出すため、先ず、「強制の影響なしとの事情」と題し、1、検察官の配慮、2、取調場所の状態、3、勾留場所の状態、4、被告人の人柄の四点をあげ、検察官の取調当時においては「被告人が警察で強制を受けたため抱いていた畏縮した心理状態は相当減少し、少くとも、右強制の被告人に及ぼす影響力は、最早や、不当不法な圧迫とまで評価し得ぬ状態になつたと一応見受けられる」と認定しながら、反面「強制の影響ありとの事情」と題し、1、先ず一般的にいつて、警察と検察庁での取調が引き続き行われ、しかも両者での自白の内容が大体同一であつて、しかも警察で強制を受けたことが認められる場合には、右強制の影響である被疑者の心理の畏縮状態は、検察庁での取調終了の頃まで存続したとみられる場合の多いこと、2、本件における月日の近接、3、被告人が少年であつて、しかも本件のような経験が初めてであること、4、被告人には、警察官と検察官との区別の認識が余りなかつたと認められること、5、北徳太郎刑事の言動からの影響の五点をあげ、更に被告人も右影響が存した事情を述べている点を附加綜合して、前記「強制の影響なしとの事情」を否定するのである。そこで、先ず、被告人が、検察庁で取調を受けるまでの間に、原判決のいうような強制の影響力、すなわち、警察で取調を受けた際、暴行、脅迫等を受けたため、また、土蔵内で取調べられたため、心身が消耗し且つ再度そのような取調を受けるかも知れないとの畏怖心があつたかどうかの点を検討しなければならない。

原判決は、「判断の対象となるのは、右のような影響力が、被告人の検察庁での取調の当時、すでに遮断され存しなくなつていたか否やということである」と判示し先ず警察での取調による心身の消耗と、いわゆる畏怖心の存在を当然視しているが、その根拠は、要するに被告人の供述だけであつて、それ以外には何等の証拠を見出し得ないのである。むしろ、被告人が三月十一日(送検の日)警察において、医師三室喜久雄から身体検査を受けた際、身体に異状は認められず、また衰弱もしていなかつたことは、同医師が次のように証言していることによつて明白である。(当時医者として診察されて被告人の身体に異状が認められたか)認められなかつたのですと思います。その証拠としては何も手当をせず注射も投薬もしなかつたのです(病気にかかつているとも思われなかつた訳か)そうです(当時衰弱しているとかいうようなことはなかつたか)衰弱していたとすれば、浜松へ送ることはいけないという筈ですが別にいけないということを言つた記憶もありませんし、ひどく衰弱しているということもなかつたと思います。また、三月十一日被告人が静岡刑務所浜松支所に移監された際、同所技官土肥直方が作成した同日付の健康診査簿謄本(記録第三、一〇六丁)によつても、当時の被告人の栄養状態は「良」で疾病その他身体に異状がなかつたことが明らかである。次に、いわゆる被告人の畏怖心であるが、被告人は三月十一日警察での取調を全部終了したため、二俣町署から浜松の刑務所に移監されたのであつて、その後如何なる事情が生じたにせよ右刑務所から再び警察に身柄が移されることはあり得ない(かかる移監に裁判官が同意する筈もない)にも拘らず、再度警察で強制を伴う取調を受けるかも知れないとの畏怖心があつたという供述は不自然且つ不合理であつて、自白を覆すための弁解とみるべきである。このようにみてくると原判決は先ず、いわゆる被告人の心身の消耗と畏怖心なるものについて、被告人の弁解を誤信して真実を見誤つたことが明らかであるが、更に進んで、原判決のいう「強制の影響ありとの事情」の当否を検討する。

(一) 原判決は第一点として、検察官も捜査機関の一種であるから、警察で強制を受けた場合その影響である被疑者の心理の畏縮状態は、「検察庁での取調終了の頃まで存続したとみられる場合が多い」というが、これは、原判決自体も認めるように「具体的事案を離れた一般的な観察」であり、極めて抽象的な皮相の観察に過ぎず、かかる観点から論ずればあらゆる被疑者の供述は悉く強制下の自白として採証上排除しなければならないこととなり不合理極まる結果を招来する。

(二) 原判決は、第二点として、被告人が検察庁で初めて調べられたのは三月十二日であつて、強制を伴う警察での取調べが終つた翌日に過ぎないから強制の影響力の存続の疑が濃厚であるというのである。

しかしながら、被告人が取調刑事から、その主張する如き暴行脅迫等を受けたかどうかは前述したように証拠上消極に認定すべきであるから、問題はいわゆる土蔵内での取調による影響力の有無乃至存続にあるが、このような影響力すなわち土蔵内での取調による、被告人の心身の消耗と再度そのような取調を受けるかも知れないとの畏怖心があつたかどうかは被告人の供述を除いては、これを積極に認定すべき証拠がないことも、前述した通りである。従つて、検察官の取調が警察での取調が終つた翌日であるからといつて、「強制の影響力が存続した」と認定することは不当である。むしろ、被告人が三月十一日警察での取調を終つて、浜松の刑務所に移監され、終日何等の取調なく一日を同刑務所で過している点からみて仮にいわゆる強制の影響があつたとしても、被告人の検察庁での取調の当時、すでに遮断され、存しなくなつていたものと認めるのが相当である。

(三) 原判決は、第三点として、被告人が少年であつて、しかも、本件のような経験が初めてであることをあげ、「被告人は当時満十八才十ケ月の少年であつて、前述のような人柄の持主であるとはいえ、一般成人に比すれば、やはり警察で受けた強制の影響は相当大なるものがあつたとみ得るのである。しかも被告人は、前に述べたように、警察に留め置かれたことは、本件までに一回だけであつて、しかもそのときは何らの強制を受けなかつたというのであるから、本件のように、強制的取調を伴う長期間の拘束生活を初めて送つた場合には、それから受ける心身の打撃も相当大なるものがあるとみられ従つて右強制による畏縮状態も通常よりは容易に恢復し難い事情にあつたと認められるのである」と判示するのである。しかしながら、被告人は当時、いわゆる数え年では二十才であつて、心身の発達は、一般成人に比して遜色がないのみならず麻雀賭博にふけり、その資金に窮して数回窃盗を犯し、保護観察処分に付されたにも拘らず、その後も依然として十回に近い窃盗の犯行を重ねるという、大胆にして道徳的感覚を欠く性行の持主である点からみれば、本件で初めて長期間の拘束生活を送つたからといつて、通常人以上に大なる心身の打撃があつたとはみられない。要するに、原判決の前記認定は、抽象的な推測に基く皮相の見解といわざるを得ない。

(四) 原判決は、第四点として、被告人には、警察官と検察官との区別の認識が余りなかつたと認められることをあげ、被告人が年少であり、捜査機関その他一般の法律制度について、特別の知識、経験を有していないこと及び本件以前に検察官の取調を受けたことがないから、検察庁においても、畏縮した心理状態の存続があつたというのである。しかしながら、被告人を取調べた太田検事は、被告人が後日に至つて「検察官も警察官も同じような者だと思つた」等主張して、自白の任意性を争う場合のあることを充分考慮に入れ、特に三月十一日は取調を行わず、刑務所に身柄を移監した上、翌十二日初めて取調をするに先立つて、先ず、検察官と警察官との区別を説明しているのである。太田検事の右措置は、被告人の自白の真実性を確保するためであると同時に、その任意性を確保するための配慮に出でたものであることは、同検事の、原審第二回及び第十八回公判における次の如き証言によつて、極めて明白である。

(一) 身柄を送致して来た警察官の居るところで調べたら、後日その自供が問題になつても困ると思つて、送致のあつた日は調べもしないで、そのまま浜松の拘置所に入れ、その翌日になつて拘置所から検察庁に呼び出して拘置所の看守が付添の上調べたのです(記録第二、七六九丁表六行目より十二行目)

(二) 私としては一刻も早く被疑者と会つて聞きたいという気持は十二分にあつたのですが、幸浦事件でゴタゴタしておつた関係があつたので、とにかく警察官のいる所で調べるのはやめようと思つたのです(中略)私自身は幸浦事件の調べには全然関係ないのですが、浜松地検へ転任した直後頃に一度幸浦事件の公判を傍聴に行つたのです。そうしたら公判廷で北徳太郎部長が「被疑者の取調の際拷問したのではないか」という点で小石幸一弁護人辺りからひどくやられておつたのです。そして難しい事件だということを痛感しておつた訳です(中略)当時公判廷で自白調書の任意性を争われる事件が幸浦事件以外にも見受けられたし殊に二俣事件のような極め手となる証拠のない事件では細心の注意を以てやらなければならんということを痛切に感じておりました(記録第四、九一〇丁裏十一行目より第四、九一二丁裏二行目)

(三) 私は事件の内容或は自供内容は知つているが須藤には何も言わず私は検事だ警察の立場とは違う検事は検事としての立場で調べるから、警察で述べたことにかかわりなく正直に言つてもらいたい。ついては君はこういう事実にもとずいて此処に来たのだと言つて送致事実の要旨を読んで説明したところ、須藤は黙つて居ました。私はやらないならやらないで良い、はつきり言つてもらいたいと言つたところ、須藤は三分か五分位黙つて居ましたので、又私はどちらでも良いのだやつたならやつたで良い、やらないならやらないで良いどちらでも良いのだからと言うと、私はやつたと被告人は言つたのです(記録第二、七七一丁表七行目より同丁裏五行目)

(四) 幸浦事件で警察官の拷問が問題になつて事件が崩れそうな危険を持つているというようなことも聞いたので私としては「警察の続きの検事調書」ということを言われたくないと考えて特にそういうことを冒頭に告げたわけです(記録第四、九一八丁表七行目より十三行目)従つて、仮に被告人が、それ迄警察官と検察官の区別を知らず、警察に対して不信の念と畏怖心を抱いて、いわゆる畏縮した心理状態にあつたとしても、右のような、太田検事の措置によつて、両者の区別を充分認識するに至り、畏縮した心理状態から解放された上で、新に自ら進んで、本件犯行を自白したものであつて、この間の事情についても、太田検事は次の如く証言しているのである。(一)(須藤は検事と警察とは立場が違うということを十分分つた上黙つて考え込んだと思われたか)それまでずつと二俣に居つたのに、今度は検察庁に行くということで自動車に乗つて浜松に移り、更にその上私が検事と警察官とは違う旨話したのですから、私が話した程度で十分了解できた筈だと推測しております(記録第四、九二〇丁表九行目より同丁裏五行目)(二)推測になりますが、私としては被告人は検察庁と警察との違いを十二分に納得して考えこみ、それから自白したと思つて居ります。拘置所へ行つて生活も変つて来ておるし、警察官も全然来なくなつたしそれに否認するとすればもつと早い時期に否認している筈と思います(記録第四、九二二丁裏一行目より八行目)(三)(証人に対し非常に信頼しなついて来たというようなことはなかつたか)調べている間にだんだんなついて来ることはなついて来ました。なお被告人は警察官を余り信用していない刑務所の方がいいというようなことは私に対して漏らしておつたことはありました(記録第四、九三三丁裏九行目より同四、九三四丁裏三行目)されば、「被告人には警察官と検察官との区別の認識が余りなかつた」から、検察官の取調当時においても警察での取調による畏縮した心理状態が存続していたとする原判決の認定は、被告人の弁解を一方的に採用した結果事実を誤認するに至つたものといわざるを得ないのである。

(五) 原判決は、第五点として北徳太郎刑事の言動からの影響をあげ、「被告人は、検察官に対して、もし否認の供述をすれば再び強制を加えられるおそれがあること及び現に一度否認して暴行を加えられた事実のあることの二点を特に強く意識していた」と判示する。しかしながら、このような「事実」は被告人の供述以外にこれを認めるに足りる証拠はない。むしろ前述したように、北徳太郎の、前第一審及び原審の各公判における証言上(記録第八九九丁以下、同第三、七二八丁以下、同第四、九四五丁以下)によれば、被告人が三月六日北徳太郎から、被告人主張の如き暴行、脅迫を受けた事実は全然認められないのである。従つて、「以上の点から、警察の強制全般による畏縮状態も検察庁において容易に減少しないものとみられ得る」という原判決の認定も、被告人の弁解を妄信した事実誤認といわざるを得ない。以上に述べた通り、原判決がかかげる「諸点」によつては、いわゆる「強制の影響すでになし」とする結論の正当性を否定し去ることは出来ないのである。しかるに、更に、原判決は「検察庁で否認すれば、たとえ太田検事からでなくても警察の刑事からでも再度強制を加えられるかも知れないとの畏怖心がどうしても抜けなかつたので、結局自分がやつたと言つてしまつた」という被告人の供述は、「前記の″諸点″等に照せば」その信憑性は決して低いものとはいえないから、前記「強制の影響すでになし」との結論には疑問が生ずるというのである。しかし、上来反覆して述べた通り、本件自白の真実性の観点から検討吟味すれば、被告人の右供述も、検察官に対する自白を覆すための弁解であつて、全然証拠価値は認められない。

されば、被告人の検察官に対する自白についても、その任意性を疑うに足りる事情は全く認められないものというべく、従つて、これを記載した前記被告人の供述調書三通は、その全部が任意性を有し、これを証拠とするについて、何等妨げなきものであるに拘らず、その任意性を否定し去つた原判決は、畢竟、証拠の価値判断を誤り、またその取捨判断を誤つた結果、事実を誤認するに至つたものに外ならない。

以上に述べた理由により、本件住居侵入、強盗殺人の公訴事実については、警察、検察庁を通じ被告人の自白等には任意性があり、従つて、これを記載した供述調書等は、いずれも証拠となし得るものであつて、これを補強する証拠もあるから、その証明充分たるに拘らず、無罪を言渡した原判決は、冒頭掲記の違法があつて破棄を免れないと思料し、原判決破棄の上更に相当なる裁判を求むるため控訴を申立てた次第である。

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